【道案内】
城跡の地図
田峯城
城址公園として整備され、城の北西側に無料駐車場が完備されています。

【感想・メモ】
本丸は有料施設となっており定休日や入城時間に制限があるので気をつけてください。それ以外は無料で自由に散策できます。横堀、堀切などの見所も散策路があります。

【歴史】
文明2年(1470)、菅沼定信が築城した。菅沼氏は作手村菅沼から興ったため菅沼と称し、奥三河へ勢力を伸ばすために田峯に城を築いた。田峯菅沼は4代目・定継まで今川氏に属したが、氏親が没すると松平氏についた。ところが清康が守山崩れで暗殺された翌年である弘治2年(1556)布里において弟・定直と戦い勝利するも今川義元の軍勢に戦死した。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで義元が死ぬと、松平元康は今川と離れ織田氏と和した。田峯の定忠は元康に従ったため、翌年田峯だけでなく武節・新城も領した。元亀2年(1571)武田信玄の誘いに乗り武田氏に属したが、天正3年(1575)長篠の戦いで勝頼が負け退却する際、田峯城へ入ろうとしたが、留守役の叔父・定直や重臣・今泉道善らの反逆にあい入城できなかった。(そのため武節城へと逃れる)天正4年、定忠は田峯城を急襲し、定直や今泉らを討った。天正10年勝頼が天目山で死ぬと定忠も信濃国伊那知久平において牛久保城主・牧野康成と戦い討死した。
田峯城縄張図  原図:石川浩治氏
愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より
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復元御殿
別名
所在地 愛知県設楽町田峯城9
マップコード 301 484 130*40
遺構等 復元御殿・櫓・門、曲輪、土塁、堀、説明板
現状 城址公園
築城年 文明2(1470)
築城者 菅沼定信
歴代城主 菅沼
形式 山城(比50m、標385m)
訪城日 2004/12/18
だみねじょう