岩略寺城 |
入口の案内から入っていくとすぐ右手が南曲輪で、その上が腰曲輪です。その東側にある一段上が本曲輪で、ここだけ土塁が巡っており、石積みも見られます。本曲輪の東には東曲輪があり、本曲輪の北西側には三日月堀があります。井戸が4つもあり、曲輪も他に沢山あり、結構広い城域としっかりした遺構で楽しめるオススメのお城です! |
別名 | 長沢山城 |
所在地 | 豊川市(音羽町)長沢町御城山 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、井戸、堀切、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 文安年間(1444-49) |
築城者 | 関口刑部少輔満興 |
歴代城主 | 関口 |
形式 | 山城(比100m(Pから比20m)、標168m) |
訪城日 | 2006/9/23 |
がんりゃくじじょう |
名鉄名古屋本線「名電長沢駅」から南へ約1.2km。国道1号「長沢」信号を南西へ入り、300m程進んで道なりに左折します。そのまま進むと山道を上がって行き、終点が城跡入口で駐車場です。駐車場に縄張図付きの説明板があります。 |
岩津城を拠点に西三河を平定し、東三河へと進出してきた松平信光が長禄2年(1457)、岩略寺城を奪い、子・親則に与えた。親則は長沢松平氏の祖となった。永禄6年(1563)以降、松平氏が手を加え、城代を置いた。天正18年(1590)家康の関東移封に伴い廃城となった。 |
岩略寺城縄張図 原図:奥田敏春 愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より |