一色城 |
土塁
別名 | |
所在地 | 豊川市牛久保町岸組 |
遺構等 | 土塁、今川義元胴塚 |
現状 | 大聖寺、宅地 |
築城年 | 永享11(1439) |
築城者 | 一色時家 |
歴代城主 | 一色、牧野 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/2/11 |
いっしきじょう |
JR飯田線「牛久保駅」から東北に約400m。牛久保駅から東側道路を300m程北上して「常盤」信号を右折し県道495号に入ります。そこから150m程東進して右折し、100m程南下して左折します。120m程東進して右折すると道路突き当たり左手に「大聖寺」があります。ここが城跡です。お寺の中に参拝者用駐車場があります。 |
大聖寺 |
大聖寺には、城主のお墓以外に、ナント今川義元の胴塚もあります。また、お寺へと来た通りを北へ戻って、1つ目の路地を右(東)に入って少し歩くと、右手に土塁が残っています。土塁の前に碑が建っています。 |
永享10年(1438)、上杉憲実が鎌倉で謀反を起こした時、一色直兼と甥の時家が憲実と戦ったが、一色軍が敗れたため直兼は戦死し、時家は三河国・吉良俊氏を頼って逃げた。翌年、時家は砦を築いた。文明9年(1477)、時家は家臣の波多野全慶に殺され、全慶が城主となった。明応2年(1493)、一色氏の旧臣・牧野古白が全慶を攻め落とし一色城へ入った。享禄2年(1529)、古白の子・成勝が牛久保城を築いたためこの城の役目はなくなり、永禄13年(1570)廃城となった。 |