長篠城 |
別名 | 末広城、扇城 |
所在地 | 新城市(鳳来町)長篠 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、井戸、碑、説明板 |
現状 | 史跡公園 |
築城年 | 永正5(1508) |
築城者 | 菅沼元成 |
歴代城主 | 菅沼、松平、奥平 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/9/30 |
ながしのじょう |
弾正曲輪 |
長篠城縄張図 原図:高田徹氏 愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より |
JR飯田線「長篠城駅」から西南へ約500m。東名高速道路「豊川インター」を下りて国道151号を北上した場合、鳳来町に入って600m程行くと道路沿い右手に大きく「長篠城址」や鳥居強右衛門の看板が出ています。ここを右に入るとすぐ城跡です。城跡は城址公園となっており、無料駐車場が完備されています。 |
城跡のほとんどは公園として整備されているので見やすいです。駐車場からすぐに目に飛び込む空堀から圧巻。線路の向こう側にも見所があるので、あちこち散策するとよいです。ここの史料館に長篠の戦の各砦が載った地図が500円で売られています。 |
永正5年(1508)、今川氏の武将・菅沼満成の子・元成が築城した。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が戦死した後、4代目・貞景は松平氏に属した。元亀2年(1571)武田信玄が東三河に侵攻し、長篠城を取り囲んだ。一旦は退けたものの武田氏に降った。天正元年(1573)家康が長篠城に総攻撃をかけ奪った。その後、奥平信昌を城主とした。天正3年、武田勝頼が長篠城を包囲。これが長篠城攻防から設楽が原の戦いとなる。天正4年(1576)廃城となった。 |