古渡城
天文3年(1534)、那古野城を今川氏豊から奪った織田信秀が東南方に備えるために築城した。那古野城は、幼名・吉法師と呼ばれた頃の信秀の子・信長に譲った。天文16年、信秀は美濃の斉藤道三を攻めたが敗走して古渡城へ戻った。ところが、道三が勝ちに乗じて信秀の領地である大垣城を攻めたため、信秀は再び出陣した。この最中、織田宗家の老臣・坂井大膳・甚助らが清洲衆を攻め町を焼き払った。帰城した信秀と清洲衆とが険悪になったが、平手政秀が仲介役を務めた。また道三と信秀の和睦に際して、道三の娘・濃姫を信長の嫁としたのも平手政秀の功績だった。天文17年、信秀は末森城を築いて移り、信長は那古野城から清洲城へ移ったため、古渡城は廃城となった。
【歴史】
別院の一角に、城址碑と説明板があります。
【感想・メモ】

【道案内】
城跡の地図
地下鉄名城線「東別院駅」4番出口から西へ約200mの名古屋別院が城で、参拝者用無料駐車場へは南の通りから入れます。
別名
所在地 名古屋市中区橘2丁目8-45
遺構等 碑、説明板
現状 名古屋別院
築城年 天文3(1534)
築城者 織田信秀
歴代城主 織田信秀
形式 平城
訪城日 2003/1/3

ふるわたりじょう
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