蟹江城
別名
所在地 愛知県蟹江町城1丁目
遺構等 井戸、碑、説明板
現状 宅地
築城年 永享年間(1429〜41)
築城者 北条時任
歴代城主 北条、渡辺、織田、佐久間、前田、佐久間
形式 平城
訪城日 2012/3


【感想・メモ】
【道案内】
城跡の地図
JR関西本線「蟹江駅」から南南西へ約750m、近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から北北西へ約800m。日光川を県道29号で東へ渡り、1.5km程東進した「今」信号を過ぎて次の路地を右に入ると、歴史民俗資料館があります(産業文化会館併設)。この資料館に蟹江城への地図があり、ここから歩いて2分程です。資料館から少し南へ歩いた後、右(西)、左、右へ行くと城址碑が見えます。ここが城跡です。
かにえじょう
【歴史】
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井戸
細い路地を歩いていったらすごく大きな城址碑が急に目に飛び込んできてびっくり。井戸も残っており、ここにも碑があります。こんな住宅地の中にこれだけあれば満足です。
永享年間(1429-41)、北条時任が築城した。天正12年(1584)蟹江合戦で落城した。蟹江合戦とは、小牧・長久手合戦の際、織田信雄方の蟹江城主・佐久間正勝が伊勢に砦を築くため留守役を前田与十郎に任せた。与十郎は伊勢国神戸の滝川一益と通じていたため、一益は好機とばかりに蟹江城へ入った。それを知った徳川家康は、信雄とともに大軍で蟹江城を包囲したため、一益は与十郎を首をはね降伏した。その際、蟹江城は破壊された。