城跡の地図
河和城
別名
所在地 美浜町河和字西谷
遺構等 土塁、曲輪、空堀、櫓台、説明板
現状 山林
築城年 長禄年間(1457-60)
築城者 戸田孫八郎
歴代城主 戸田孫八郎
形式 山城(30m)
訪城日 2004/1/5
【道案内】


【感想・メモ】
こうわじょう
【歴史】
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名鉄河和駅から南西へ約500m。国道247号「名鉄河和駅前」信号を北西へと県道275号へ入ります。途中、右手が県道274号と合流している所は左手の道へ行き、県道275号をキープします。600m程行くと、左手に「知多厚生病院」があるので、病院の方へ左折し、病院を通り過ぎたすぐの道を右折します。すると、病院のすぐ裏側(南側)に出るのですが、道の右手に「ソーブルA」というコーポがあり、この真ん前が空き地になっています。この空き地の南側にちょっとした藪があります。この藪の手前にうっすらと道があり、ここが登城口です。
城域の西側から入ることになるのですが、登っていくと横堀にぶつかります。この最初の横堀の1段上に行くと、視界が開けて1段目が低く、2段目は高い切岸のように見えます。が、実際は1段目の低く見えた所は、幅が広く南北に長い主郭西側下の横堀でした。まるで郭のように広いです。この横堀は、北側は細くなっており、一番北側へ行くとより高さがありました。この西側にも郭があるみたいです。また南側の方へ行ってみたら、この横堀から更に西に突き出た感じで、南北の両側が空堀で囲まれた小さな郭もありました。ここまでは何とか竹の間を縫って行けたのですが、ここから南側はすごい竹薮でとても入れませんでした。諦めて今度は主郭へ〜。主郭へ登る道には、ロープもあるので登りやすいです。主郭はというと・・・特に何もないというか、だだっ広い草ボウボウの空き地といった感じでした。本当は主郭の南側に虎口があり、その下には郭があるようなのですが、私では行けないのでパス。主郭の北東側へ行って見たら、木で階段が付けてありこっちにも下りられるようなのですが、「立入禁止」となっていたので最初の登ってきた、厚生病院の方へ下りました。また、病院から河和小学校の方へと山を登る道がありますが、この登り始めの所に河和城の説明があります。
長禄年間に、田原城主である戸田氏の一族・戸田孫八郎が築城した。その子供は緒川城主・水野信忠の娘と結婚したが、天正18年(1590)小田原の陣にて戦死し、城は壊された。
河和城縄張図  原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書W(知多地区)より