城跡の地図
大草城
別名
所在地 知多市大草
遺構等 曲輪、土塁、水堀、横堀、説明板
現状 大草公園
築城年 天正12(1584)
築城者 織田長益
歴代城主 織田
形式 平山城
訪城日 2004/5/22
【道案内】


【感想・メモ】
おおくさじょう
【歴史】
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国道155号「大草」信号を南下し、2つ目の信号を右折します。右手の川が流れていますが、2つ目の橋を渡り直進すると左前方が大草城です。南側に公園駐車場が完備されています。
大草公園の南側虎口から入ると模擬櫓がある本丸です。本丸土塁の上は散策路になっており、道の両側に杭が打たれているのが邪魔だぁ!って感じですが、土塁の上から外側の水堀を見下ろすと、かなりの高さを実感できます。水面から12〜13mは軽くあるかな?本丸の周囲は土塁で囲まれているものの、西側は薄くなっており、東側はかなり厚くて高さも5m位あります。二の丸から本丸への虎口は散策路になっているため、破壊されちゃったなぁ・・・この虎口付近は、散策路のために土塁も削られてるようです。でも、本丸と二の丸の間にある横堀は、堀の深さは随分埋もれて浅いものの、幅が広くてしっかりと分かります。二の丸も土塁が巡っていますが、北西側の土塁を登ると、1段目はちょっと広く、2段目はかなり広くなっています。まるで櫓台のよう。そこから外側の北西を見下ろすと、一段下にまたちょっとしたスペースがあります。こりゃ何のため??更に二の丸真ん中付近を北へ行くと、両側に水堀があり左手の方には、かつては虎口だったのでは?と思われる、うっすらと道の跡があり、その左手はよく分からない空き地がありました。その後、水堀を見ながら東側へ回り本丸横付近まで南へと歩いて帯曲輪を確認しました。立派に遺構が残ってるし、城跡も広いし、見応えのあるお城です。
天正10年、織田信長が本能寺の変で急死した後、信長の弟・長益が築城した。長益は初め、大野城主となったのだが、山が高く水利が悪いため、ここに城を築いた。しかし、完成する前に転封となったため、未完成のまま廃城となった。
大草城縄張図  原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書W(知多地区)より