秦梨城 |
別名 | |
所在地 | 岡崎市秦梨町字神谷 |
遺構等 | 曲輪、堀切、土塁、碑 |
現状 | |
築城年 | |
築城者 | 粟生長蔵信盛 |
歴代城主 | 粟生 |
形式 | 丘城(比10m) |
訪城日 | 2004/3/13 |
はたなしじょう |
少し上ると主郭で、通信設備が邪魔ですが梅の木が数本あって、綺麗に咲いています。主郭奥には城址碑もあります。主郭から少し東へ行くと、かなりはっきり分かる堀切があります。なかなか見応えがあるので、上の方まで行き、堀切に下りてみると楽しいです。また主郭の外側周囲を見て回っていたら、藪に隠れながら石積みがありました。この主郭、畑に使っていたみたいだから、その時に土留め用に積んだものみたい。。。 |
城主である粟生氏は、鎌倉時代(喜元3年・1305)三河守護であった足利氏の被官として秦梨郷郷司職に任命され入った。その後、永禄年間に松平氏に屈して去るまでの約300年間、この地を本拠とした。 |
主郭東の堀切 |
秦梨城縄張図 原図:奥田敏春氏 愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河)より |