東広瀬城 |
別名 | 東廣瀬城 |
所在地 | 豊田市東広瀬町城下 |
遺構等 | 曲輪、堀、土塁、碑 |
現状 | 山林、広瀬神社 |
築城年 | 康永3(興国5、1344) |
築城者 | 児島高徳 |
歴代城主 | 児島、三宅 |
形式 | 平山城(比20m) |
訪城日 | 2007/2/24 |
ひがしひろせじょう |
国道153号「勘八町勘八」信号を県道355号へと北へ入ります。3km程道なりに行った路地を左折すると矢作川を渡る「広梅橋」があります。この橋を渡る手前の右手の山が城跡です。ここからでも山に入れますし、「広梅橋」の方へと左折せず、県道355号をあと200m程直進すると、左手に右写真の城址碑があります。ここは東海自然歩道になっており、こちらからも山へ入れます。 |
城跡の主郭は、広瀬神社の境内となっていますが、そこにも城址碑があります。一段下の二の郭に説明板があり、南東側の麓(道路沿いに城址碑がある付近)は館跡です。 |
康永3年(1344)、この付近の豪族である児島高徳が築城した。児島氏は11代続いたが、永禄3年(1560)松平元康に攻められ落城した。その後、中条氏の被官・三宅氏が居城した。 |
道路沿いの城址碑 |
東広瀬城縄張図 原図:高田徹氏 愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河地区)より |