久保城 |
別名 | 宮崎城 |
所在地 | 岡崎市(額田町)石原字内久保 |
遺構等 | 曲輪、堀切、模擬櫓、説明板 |
現状 | 企業の研修所、山林 |
築城年 | 永正年間(1504-21) |
築城者 | 奥平貞昌 |
歴代城主 | 奥平、曲淵 |
形式 | 山城(比30m) |
訪城日 | 2007/2/3 |
くぼじょう |
県道37号沿いの「宮崎小学校」南西付近で南へ入り、男川を渡ります。渡ってすぐ道は右カーブになるので、そのまま道なり400m程西進すると道が二手に分かれるので、そこを左折します。そのまま今度は東進して道の終点まで行くと、城跡です。終点に駐車場があります。 |
城跡は「高木製作所研修所」となっていますが、模擬櫓があります。模擬櫓の前には説明板もありました。また、駐車場へ入る手前には堀切もありました。それ程山に登っていないのに、周囲を見渡せる高台で、しかも男川がすぐ前を流れ、城の立地条件にはバッチリだったのだなぁと実感できます。また、宮崎小学校の道路向かい側にもお城の説明板があります。 |
永正年間(1504-21)、作手城主奥平貞昌が築いた出城。規模は、東西約110m、南北約150mです。元亀元年(1570)秋、奥平諸将はこの久保城に集まり、一族の存続を図るため、武田方と徳川方に分かれてつくことにした。その評定を「久保城の密談」と言う。天正18年(1590)、城主の関東移封に伴い、城は廃城となった。 |
鳥瞰図(現地説明板より) |