則定城 |
別名 | |
所在地 | 愛知県豊田市(足助町)則定町青木 |
遺構等 | 曲輪、土塁 |
現状 | 山林 |
築城年 | |
築城者 | 鈴木三郎九郎 |
歴代城主 | 鈴木 |
形式 | 山城(比50m) |
訪城日 | 2004/2/14 |
のりさだじょう |
切岸 |
国道153号「日之出町」信号を県道343号へと東へ入ります。そのまま343号をキープして足助町に入ります。則定地区に入るところで道が少し右カーブするのですが、ここに左に入っていく道があります。ここを左手に入っていき200m程行くと左手に則定小学校があります。この小学校の前の道を東へ進み、突き当たったら左折して50m程北上した右手の小山が城跡です。 |
この、突き当たりから少しだけ右に坂を下った所の左側と、突き当りを左折し、少し坂を上った右側との2ヵ所に、則定城の案内標識がありました(登城口が2ヵ所ある)。私は、後者から入りました。ここからだと、最上段にある主郭へすぐ通じる道となっていたのですが、この主郭へ入っていく道が、格好いいのだぁ。主郭の下から見ると、細い道が段々と高くなりながら曲がっている。一番高くなった所が虎口となり、下から見ると、切岸の高さもある。しか〜し、めっちゃ格好いい!と思いつつも、ここってかつては農耕地だった模様。という事で、これは城の遺構ではなく、農耕地として使う際、作った道の可能性大ですね。でも、格好良かったので、それでヨシと、意味不明に思う私。城跡は、この主郭から、西南に向って段上に曲輪があり、2ヵ所あった前者の登城口からだと、こっちの曲輪から入り、順番に主郭へと通じているようです。 |
則定j陣屋を構えた鈴木重次の子・鈴木三郎九郎が築城した。 |
主郭へ |
則定城縄張図 原図:石川浩治氏 愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河)より |