城跡の地図
大給城
別名
所在地 豊田市大内町城下
遺構等 曲輪、土塁、空堀、石垣、虎口、碑、説明板
現状 山林
築城年 永正年間(1504-21)
築城者 松平氏
歴代城主 松平
形式 山城
訪城日 2007/1/27
【道案内】

【感想・メモ】
おぎゅうじょう
【歴史】
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水の手曲輪
国道301号「九久平町」信号から1km程東進すると、右手に「大給城」の看板が出ているのでそこを右折します(看板はちょっと見にくい位置にあるので注意して下さい)。道なりに山を上っていくと少し下り始めた付近右手にまた大給城の案内があります。この案内がある所から山へ入ると城跡です。登城口の手前に駐車場が完備されています。
このお城は個人的に西三河の中で一番好きなお城です。城域の規模、遺構の残り具合、土塁の高さ、石垣、堀切など堪能できます。主郭奥の物見岩からの眺めはまさに絶景!水の手曲輪は現代版のダム施設。全てにおいていうことなし♪
応仁・文明年間(1467-87)の頃は、土豪・長坂新左衛門の拠点でしたが、松平信光が侵略し、その嫡男・親忠の次男・乗元が初代城主となった。大給松平氏は乗元から始まり、2代目・乗正の時、城の大改修をした。天正初めにも、武田氏に備え大改修を行っている。天正18年(1590)、家康が関東に移封したのに伴い廃城となった。
縄張図(現地説明板)