大久保陣屋 |
別名 | |
所在地 | 幸田町坂崎字御屋敷 |
遺構等 | 石垣、説明板 |
現状 | 八百富神社 |
築城年 | 慶長19(1614) |
築城者 | 大久保彦左衛門 |
歴代城主 | 大久保 |
形式 | 陣屋 |
訪城日 | 2006/6/18 |
おおくぼじんや |
国道248号「大草」信号から1km程北上して「相見川」を渡ります。そこから700m程北上した「弁天」信号を左折し、100m程西進した路地を右折します。150m程北上した右手に「坂崎公民館」があります。この公民館の東隣にある「八百富神社」が城跡です。車は、公民館駐車場を利用させて頂くとよいでしょう。 |
神社に説明板があります。また、神社入口の石段横の石垣は遺構とのことです。鳥居の脇に「陣屋跡石垣」の看板が無残にも捨てられていました。公民館から神社へ入る所に、「平岩の射割石」があり、その説明板もあります。 |
この八百富社は、大久保彦左衛門の陣屋跡である。大久保氏は、もと宇都宮氏と称したが、彦左衛門の父忠員の時から大久保を称した。大久保氏は三河譜代中でも、岩津普代と呼ばれる最も由緒ある家柄で、父祖代々、一族を挙げて徳川氏に仕え、徳川幕府成立のために忠勤を励んだ。彦左衛門忠教は、父忠員の八男で、大久保一族と共に各地に転戦、慶長19年(1614)家康の直参に取り立てられたが、知行はわずかに坂崎における千石であった。その後、寛永元年(1624)千石の加増を受け、竜泉寺、桑谷、羽栗などを領した。(現地説明板より) |