広島県のお城 ひぐまやまじょう
比熊山城
別名 飛熊山城、日熊山城
所在地 広島県三次市上里
遺構等 曲輪、土塁、石積み、畝状竪堀、堀切、井戸、説明板
現状 山林
築城年 天正19年(1591)
築城者 三吉新兵衛広高
歴代城主 三吉氏
形式 山城(比170m、標332m)
登城時間 20分
北西の畝状竪堀
訪城日 2012/4/28 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
尾関山城の北、JR三江線「尾関山駅」の北約700mの山が城跡。南麓の国道375号沿いにある吉祥院が登城口で、吉祥院の参拝者用駐車場を利用させて頂きました。
【感想・メモ】
尾関山城のある尾関山公園駐車場に比熊山城の説明板があり、吉祥院の左手から登ると比熊山道入口の案内があります。本丸はとても広く、東に高い物見台、西にも土塁があり、南西には方形の天守台のような小高い部分があります。石積みや石列が所々に見られ、本丸の北斜面には立派な石垣もあります。この主尾根東方には南北に曲輪が連なりますが藪で、間には桝形虎口があります。また主尾根の北側にも東西に長い曲輪が連なり、西側には畝状竪堀が、その西端に堀切があり、かなり見応えがあります。図面に井戸が3ヵ所書かれていますが、動物のねぐらのような穴に見えたり、ちょっとした窪みだったりで井戸だったのかは?です。だだっ広いせいか、ダラダラして鋭さが無いお城といった印象になってしまいました。また、日差しがきつく、写真がまだらでイマイチになってしまったのも残念。
【歴史】
天正19年(1591)、三吉広高が比熊山城を築いてそれまでの居城であった比叡尾山城から移った。三吉氏は鎌倉初期にはこの地の地頭職となり、比熊山城の東方約4kmにある比叡尾山城を代々居城としていた。関ヶ原合戦で毛利氏は豊臣方に与し防長移封になったのに伴い、城は築城途中で廃城となった。
参考資料
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
本丸(物見台) 北西端の堀切 本丸北の石垣 遠景
HOME 広島県のお城