甲山城
別名 冑山城、兜山城
所在地 庄原市本郷町
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 山林(円通寺北東)
築城年 元亨年間(1321-24)
築城者 山内通資
歴代城主 山内
形式 山城(比100m)
訪城日 2007/5/1
登城道は整備され、登り始めて7分程で城跡南西部の三の丸に着きます。このお城は本丸が頂部で中心にあり、その北側が二の丸、南側が二の丸よりほんの少し低くなった三の丸で構成されています。二の丸の北東部や北西部には土塁が残り、本丸にも一段高い土塁があります。また、二の丸と三の丸の境目付近の三の丸側から東へ進むと左手に空堀があり、更に東へ進むと少し埋まっていますが3本の堀切が連続してあります。城域に入ってみたら、思った以上に広くてびっくりしたのと、本丸切岸を見上げる景色がかっこいいです。
【感想・メモ】

本丸

二の丸東の空堀

登城口

【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
山内氏は相模国山内庄を本拠としていたが、通資の時、地毘庄(比和、庄原の一部)の地頭に任じられた。正和5年(1316)、現在の高野町に蔀山城を築いたが、戦略上から甲山城を築き、文和4年(1355)移住した。その後、備後屈指の大名となり、室町時代には毛利氏と並ぶ勢力となった。天正19年(1591)毛利氏の支配下となった20代・元資が広島城下へ移るまで山内氏の居城だった。

【歴史】
こうやまじょう
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国道183号「七塚西」信号を北へと県道458号に入ります。1.5km程北上して左折し、700m程西進して右折します(円通寺 の案内が道路途中にあります)。ここから500m程坂を上がっていくと、道路終点がお寺となり、お寺に参拝者用無料駐車場がありま す。城跡は円通寺の北東で、お寺に向かって左手奥に登城口があります。