広島県のお城 するがまるじょう
駿河丸城
別名 平家丸城、間所城
所在地 広島県北広島町(大朝町)大朝
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉末期(1313)
築城者 吉川経高
歴代城主 吉川
形式 丘城(比30m、標440m)
登城時間 5分
遠景
訪城日 2012/4/29 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
浜田自動車道「寒曳山PA」から東南東へ約500m。浜田自動車道「大朝インター」から県道5号で北西へ3km程進んで右折します。ここから道路に案内が有り、この500m程北が登城口で説明板があり、1〜2台なら駐車できます。
【感想・メモ】
2007年に訪れた時は竹薮だったのですが、今回は竹が伐採されて見やすくなっていました。城は馬蹄形で東が本丸、西が二の丸となり、この2つの郭を高土塁のようにして囲まれた部分が屋敷跡といった感じです。本丸と二の丸は北側に土塁があり、間には堀切があり、その背後(北)には横堀もあります。更に北にも曲輪があり、空堀が湾曲して入り込み技巧的な造りで見応えがあります。
【歴史】
鎌倉時代末期(1313)、吉川経高が駿河国からこの地に移って築城した。以後、経高-経盛-経秋-経見と続き、南北朝末期に経見が小倉山城へ本拠を移すまでの約70年間、本拠地とした。
参考資料
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
屋敷跡?右:本丸、左:二の丸 本丸と二の丸の間の堀切 本丸 本丸北の横堀
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