冠山城 |
築城者は、足利将軍の執事で高家の一族にあたる河津左衛門尉氏明とする説と、天正頃まで広大な寺領を有していた宝福寺の禅寺守福寺に関係する人物との説があり、築城年と共に詳細不明。天正年間(1573-92)まで林三郎左衛門尉重真が城主だったが、冠山合戦にて落城後、城の守将として杉原七郎左衛門・荒木平太夫の二人が羽柴秀吉から城番を命じられている。冠山城は、秀吉による高松城水攻めの前哨戦として知られる。 天正10年4月17日、織田軍2万、宇喜多勢1万に囲まれた冠山城は総勢3600人が応戦し、大軍を撃退していた。ところが4月25日、城内にて出火して騒然とし、この事態につけこんで加藤清正が一番乗りで、続いて備前勢が城に討ち入り、城主重真が切腹したのをはじめ、将兵139人が討死し、落城した(冠山合戦)。 (『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
「三仙寺」裏山がお城で、JR「足守駅」東方から国道429号を2km程北上し、「老人ホーム足守荘」や「三仙寺」手前の交差点を右折した300m先左手が登城口(案内有)です。 |
別名 | |||
所在地 | 岡山県岡山市北区下足守2026 | ||
遺構等 | 曲輪、井戸、碑、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 鎌倉初期? | ||
築城者 | 河津左衛門尉氏明または守福寺某 | ||
歴代城主 | 林三郎左衛門尉重真 | ||
形式 | 丘城(比20m、標40m) | ||
訪城日 | 2010/4 | 感想 | △ |
民家の間を抜けて山へ入る手前に溜め井があり、山へ入ると大手門跡、三の丸跡、二の丸跡と看板があります。本丸には慰霊碑や説明板、標柱があり、遺構としては特に楽しめないものの、冠山合戦に思いを馳せることができます。 |
かんむりやまじょう |