下津井城
文禄年間(1592-96)、宇喜多秀家が既存の城を改修したといわれる。その後、池田忠継が備前岡山藩主となり、下津井城には藩主一門の池田長政が置かれた。当時、大坂の豊臣秀頼に対抗するため、家康が下津井城を西国大名に備える戦略拠点へと大規模な改修工事を行い、慶長11年(1606)完成した。その際、廃城となった常山城の資材を利用したといわれる。元和元年(1615)、一国一城令発布後も暫く存在したが、西国の脅威もなくなった寛永16年(1639)廃城となった。
【歴史】
石塁が城全体のあちこちにあります。広い馬場跡には石垣があり、その南の西の丸は西〜北に土塁があります。この東の土橋にも石積みが見られ、更に石垣を見ながら石段を進むと本丸です。本丸北には天主台が、西には城址碑があります。本丸南は東屋がある二の丸で、本丸北東には井戸曲輪があります。更に東へ進むと三の丸で南側に立派な石垣があります。ここから堀切の先に中の丸があり、その先は公園から外れ、更に先に東出丸があるようです。城域は広く、遺構がしっかり見られ、二の丸から東へ進むにつれ瀬戸大橋をはじめとした海を見下ろす眺望がとても良い、オススメのお城です。

天主台

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【感想・メモ】

三の丸南の石垣


別名
所在地 岡山県倉敷市下津井
遺構等 曲輪、石垣、天守台、堀切、土塁、井戸、礎石、碑、説明板
現状 城山公園、山林
築城年 文禄年間(1592-96)
築城者 宇喜多秀家
歴代城主 宇喜多、小早川、池田
形式 山城(比88m)
訪城日 2010/4 感想
城跡の地図
【道案内】
しもついじょう
「瀬戸大橋架橋記念公園」のすぐ南にある城山公園が城跡で、車は瀬戸大橋架橋記念公園駐車場に停めると良いでしょう。

西の丸東の土橋