城跡の地図
鹿野城
別名 王舎城、志加奴城
所在地 鳥取市鹿野町鹿野
遺構等 曲輪、塁濠、石垣、薬研堀、碑、説明板
現状 城山公園
築城年 室町時代
築城者 志加奴氏
歴代城主 志加奴、尼子、毛利、池田
形式 山城(比140m)
訪城日 2002/9/14
【道案内】

【感想・メモ】
しかのじょう
【歴史】
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天守台
鳥瞰図(現地説明板より)
県道233号と県道21号が交差した所を南へ入ります。500m程南下した突き当りを左折すると「鹿野小学校」があり、その東側に「鹿野中学校」があります。これらの学校の南側が城跡で、麓が城山公園になっています。この公園の無料駐車場が完備されています。
城山中学校周囲の水堀が目に飛び込んできます。薬研堀もあります。中学校を建てる時、堀を埋め立てなかった事に感謝!お堀の周りをぐるっと散策した後、往復20分と看板に書いてあった主郭へ。石垣がかなりあったが、注意深く見ないと草に覆われてよく分かりません。天守台には、礎石も残っています。オランダ櫓や朝鮮櫓などという変った名称の櫓もある。また、すぐ近くの鹿野の古い町並みの中に、山中鹿之助の墓がある幸盛寺もあります。
室町時代、志加奴氏が築城したといわれる。戦国時代、天神山城を本拠とする因幡山名氏と月山富田城を本拠とする出雲尼子氏とが争奪戦が繰り広げた。永禄9年(1566)、毛利氏によって尼子氏が滅び、因幡山名氏も家臣の裏切りで勢力が衰え、鹿野城は毛利氏の支城となった。天正9年(1581)、鳥取城攻めの戦功により、亀井茲矩が1万3千石で鹿野城主となった。茲矩は、鹿野城の大改修や山麓に「オランダ櫓」「朝鮮櫓」などを築いた。元和3年(1617)、茲矩の跡を継いだ政矩は石見津和野へ移封となり、一国一城令で廃城となったが、播磨姫路から鳥取城に入った池田光政の家臣・日置豊前守忠俊が入封し、麓に陣屋を構えた。貞享2年(1685)、池田仲澄が2万5千石を分地され、以後池田氏が10代続いて明治を迎えた。
水堀