浦富台場
別名
所在地 岩美町浦富
遺構等 土塁
現状 公園
築城年 文久3(1863)
築城者 池田氏
歴代城主 池田
形式 台場
訪城日 2007/5/3
幕末、黒船渡来による未曾有の困難に遭遇した江戸幕府は、開国か攘夷かで国論が二分したが、文久2年(1862)朝廷が攘夷を決定し、鳥取藩で海辺防備のため、因・伯海岸の要地に台場を築いた。鳥取藩は、文久3年10月頃までに、野戦台場も含め11の台場に大砲配備を完了した。浦富台場には四門を配置し、家老・鵜殿長道が担当した。台場築造には農民の労役に頼り、守備も農兵(民兵)を組織して洋式訓練した。浦富台場は他にもう1ヵ所、西へ約400mの所にもあったようである。文久3年頃には庄屋を民兵隊長として郷士に取り立て、苗字帯刀も許し、国難に立ち向かう態勢を整えた。現在、鳥取県に遺る台場はわずか5ヵ所(橋津・由良淀江・浦富)である。
【歴史】
民家の間に突然これだけの広さのものが残っていて、ちょっとびっくりしました。土塁が良好な状態で残っているため、全体の雰囲気がとても掴みやすいです。
【感想・メモ】


【道案内】
城跡の地図
うらどめだいば
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国道178号「浦富海岸」信号から400m程東進すると、道路右手に台場の案内が小さく出ています。そこを右折した正面が台場公園で、公園手前に駐車可能です。