山口県のお城 しょうえいじ
勝栄寺
別名
所在地 山口県周南市中央町古市北3-10
遺構等 土塁、説明板
現状 勝栄寺
築城年 南北朝時代
築城者 陶弘政
歴代城主 陶氏
形式 平城(城郭寺院)
登城時間
訪城日 2013/5/2 感想
【道案内】 城跡の地図
山陽本線「新南陽駅」北口から300m程西進した勝栄寺が城跡で、周辺に駐車可。
【感想・メモ】
お寺に土塁が良く残っていてビックリします。北西(寺の外側)に説明板があり、山門脇には「毛利元就公教訓状発祥の地」の石碑があります。
【歴史】
勝栄寺は正平5年(観応元年・1350)頃に、大内弘世の重臣・陶弘政によって創建され、陶氏の菩提寺でもあった。富田は山陽道や瀬戸内海の主要な港の一つ・富田津に位置する陸海の交通の要所で、戦乱の続く南北朝時代に寺の周囲に土塁と堀を構築して城郭化した。弘治元年(1555)に厳島合戦にて陶晴賢を破った毛利元就は、防長二国の各地で大内氏残党が相次いで蜂起している事態を重視し、弘治3年、長男隆元を伴い富田に進駐し、勝栄寺に本陣を置いて一揆を鎮圧した。その在陣中に、元就が三人の子に宛てた教訓状(三矢の訓)を勝栄寺にて書き残したと伝えられる。また、豊臣秀吉が九州進発の際、当寺に宿営したともいわれる。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
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