広瀬城 |
別名 | 田中城 |
所在地 | 高山市国府町名張、瓜巣 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、放射線状畝状竪堀、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 室町後期 |
築城者 | 広瀬左近将監利治 |
歴代城主 | 広瀬、三木 |
形式 | 山城(比100m) 登城口から主郭まで約12分 |
訪城日 | 2005/11/4 |
ひろせじょう |
堀切 |
畝状竪堀 |
国道41号「名張」信号を南西に入り、400m程進んだ突き当たりに「名張」バス停があります。そこに広瀬城の縄張図が書いてある看板がありました。そこからは、広瀬城の案内があるので、それに従っていくと、城跡へ辿り着けます。といっても、埋蔵文化センターの所から案内が無くなっていたので、この埋蔵文化センターの建物とプレハブの間を山へ(左手)と向かい、突き当たったら右手へ行くと、城跡です。 |
この広瀬城、縄張図を見てびっくり仰天!ナ・ナント篠脇城と同じように、放射線状に竪堀があるではないか!!この付近は竪堀が流行してたぁ??途中、井戸跡とおぼしきものがあったりしたけど、三の丸・二の丸を経て、本丸へ。この城は、篠脇城より見やすくていいかも。というのも、木々の枝が伐採されていて、下草が全くないから、畝状竪堀もと〜っても見やすい上、デジカメで撮っても、畝状竪堀がくっきり分かる。すんばらしい!大絶賛!! |
室町後期、広瀬左近将監利治が高堂城を築いて居城としたが、要害地形で不便だったため、広瀬城を築いて居館としたといわれる。 |
畝状竪堀 |