城跡の地図
増島城
別名
所在地 飛騨市古川町殿町二の丸118
遺構等 石垣、堀、城門、碑
現状 神社
築城年 天正17(1589)
築城者 金森長近
歴代城主 金森
形式 平城
訪城日 2003/5/2
【道案内】


【感想・メモ】
ますじまじょう
【歴史】
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移築城門
JE高山本線「飛騨古川駅」から南東へ約300m。国道41号「向町」信号から1本北の信号を右折し、1km程北上して荒城川を「増島橋」で渡ります。渡り終わってすぐを右折して県道473号へ入った左手が城跡です。古川小学校のすぐ東隣になります。
石垣が残っていて、あちこちの角度から石垣を見たり写真を撮ったりしていたら、ついつい長居してしまいました。すぐ近くに移築城門もあります。円光寺の山門と、金森氏の菩提寺でもある林昌寺の山門(形式は薬医門)の2つもあり、林昌寺の山門には説明書きがあることより、大きなわらじが気に入りました。
天正17年(1589)頃、金森長近が築城したといわれる。長近は鍋山城に入ったため、養子の可重を増島城主とした。慶長12年(1607)、長近が没すると可重が養父の跡を継いで高山城主となったため、可重の子・重近が増島城に入った。重近は、可重の死後、将軍秀忠の命で高山城を継ぐことができず、入道して宗和と号した。増島城は城主となった可重の四男・重頼の命により家臣が守ることとなった。元和5年(1619)、一国一城令により増島城は廃城となり、古川旅館として金森家の旅館、別邸として使用された。