梨打城 |
別名 | |
所在地 | 高山市国府町八日町 |
遺構等 | 山林 |
現状 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、虎口、碑 |
築城年 | |
築城者 | 江馬氏 |
歴代城主 | 江馬 |
形式 | 山城(比230m) 登城口から主郭まで約30分 |
訪城日 | 2005/11/5 |
なしうちじょう |
県道76号で「荒城川」を北へ渡り、渡ってから1本目の路地を左折します。すぐに突き当たるので右折し、小川を渡ってから左折すると「菅原神社」があります。この神社の本殿に向かって左側(西)にある観音堂の裏側に回った左手に登城道があります。神社付近のスペースに駐車しました。 |
菅原神社の鳥居の脇に城址碑があります。尾根道を30分程登ると城跡に辿り着きます。そこは主郭南の郭ではっきりした虎口に郭内には土塁が巡っています。主郭の東側の郭にも土塁が巡り、その東側の堀が途中で折れ曲がっていて少し変わっていました。主郭西側にも郭があり、堀切が見られます。全体に郭の削平は甘いものの、周囲の作りが面白いというか珍しく、なかなか楽しめるお城です。 |
高原諏訪城主・江馬常陸介輝盛の城といわれており、北飛騨の江馬氏が南方を固めるために築いた出城ではないかとされている。天正10年(1582)、織田信長が本能寺の変で没すると、北飛騨の江馬輝盛と南飛騨の三木自綱が、梨打城下の八日町で荒城川を挟んで戦った。この戦いで江馬氏は滅亡した。、梨打城と高原諏訪城は小島時光に落とされた江馬氏は滅亡し、梨打城は落城し、廃城となった。 |
堀切 |
虎口と土塁 |
菅原神社と城址碑 |