城跡の地図
高原諏訪城
【歴史】
城域の北側から入ることになるのですが、いきなり立派な堀切が連続でありびっくりします。左手に土塁が続く細長い道を進むとまた堀切があり、西へと長い竪堀となって落ちています。南へ進むと主郭ですが、主郭の北方にも竪堀が幾つかあり、北東側にはL字型の堀切もあります。主郭には土塁は無く、江馬侯城趾と刻まれた石碑があります。更に南にまたまた立派な堀切があり、城跡の南端にある堀切はL字型でめちゃくちゃカッコいいです。とてもしっかりした堀があちこちで見れて、感動しっぱなしのお城でした。超オススメです!
【感想・メモ】
国道471号「神岡警察署前」信号を東へ入り、100m程東進して右折します。250m程南下して鋭角に左折し、道なりに1.3km程上がって行くと、左カーブの右手に城址碑があります。ここが登城口です。

主郭


北飛騨に勢力を誇った江馬氏が代々居城した江馬氏の本城で、居館としていた江馬下館の詰城として築城されたと考えられる。江馬氏は平家の一族とも鎌倉幕府執権北条氏の一族とも言われるが、出自は明確ではない。14世紀末には有力在地領主として活躍した。戦国期には飛騨の覇権をめぐり姉小路氏、三木氏などと争い、天正10年(1582)時の当主・江馬輝盛が南飛騨を治める姉小路(三木)自綱に破れた。しかし、天正12年に傍系と思われる江馬時政が中心となって再興し、高原諏訪城は江馬氏の居城として使われていたと思われる。天正13年、時政は飛騨に進攻し、三木氏を滅ぼした金森長近に協力したが、恩賞に不満を抱いて一揆を起こした。そのため、時政は長近に滅ぼされ、高原諏訪城も廃城となった。(『岐阜県中世城館跡総合調査報告書4(飛騨)』参照)

北側の連続堀切

【道案内】

南端の堀切

登城口

別名
所在地 飛騨市神岡町殿和佐保
遺構等 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、碑
現状 山林
築城年
築城者 江馬氏
歴代城主 江馬
形式 山城(比130m)
訪城日 2008/4
城跡の地図
たかはらすわじょう
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