城跡の地図
明智長山城
別名
所在地 可児市瀬田長山
遺構等 曲輪、土塁、馬場、竪堀、碑
現状 史跡公園
築城年 康永元(興国3、1342)
築城者 土岐頼兼(土岐頼基)
歴代城主 土岐
形式 平山城
訪城日 2003/2/15
【道案内】


【感想・メモ】
あけちながやまじょう
【歴史】
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馬場
縄張図(現地説明板より)
国道21号「高倉口」信号を南へと県道381号に入ります。本来は、この道の途中に、天龍寺の看板があるので、(この道から右折)この天龍寺のすぐ西にある金蓮寺から登るべきですが、私は登らなくてもよいコース、天龍寺の看板より更に500m程南下した信号を右折し、羽生ケ池団地や広眺ケ丘団地を通り抜け、西出丸から入りました。そこにも、明智長山城址入口の碑があります。
いきなり西出丸の石碑があり、高い土塁があります。思わず駆け上ったら、その向こうは水道管理施設か何かで、ゲートボール場に使えるくらいの空地があり、ちょっと拍子抜け。更に進むと、「明智城址」の石碑があり、更にその横にも、またまた桔梗紋と城名、この城の簡単な説明が彫られた石碑が。。。すんばらしい!紋入りなんて、格好いい!!と、感心していたら、この後訪ねた、可児市のお城には、どこにも同じ形態の石碑がありました。ここのお城、住宅団地から入ったので、大して期待していなかったのですが、こんな団地の中に、ポカっと、ひろ〜い城跡が残っているなんて、ちょっと不思議というか、びっくりしました。しかも、見所などには石碑で案内してあり、明智駅からの散策ルートの案内標識も。整備も行き届いていて、史跡公園として立派にしてあります。馬場跡も、真っ直ぐ長くあるし、竪堀なども残っている。本来の、金蓮寺からの登城道をたどるべく、少しお寺の方へ降りていきました。その道も整備されているのは勿論ですが、下から登って見る方がやはり格好いいです。本丸からの眺めも、とっても良い!!
康永元年(興国3、1342)、土岐頼兼が築城し、その子孫が代々居城した。弘治2年(1556)、明知光秀の叔父にあたる光安・光久が城主の時、稲葉山城主・斎藤義龍に攻められ落城した。
西出丸