城跡の地図
別名
所在地 岐阜県垂井町宮代
遺構等 曲輪、横堀、堀切、説明板
現状 山林
築城年 慶長5年(1600)
築城者 安国寺恵瓊
歴代城主 安国寺恵瓊
形式 陣所(比70m)
訪城日 2006/11/4
【道案内】


【感想・メモ】
あんこくじえけいじんしょ
安国寺恵瓊陣所(西軍)
【歴史】
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説明板
最初に見た横堀
国道21号「御所野」信号を南に入ります。そのまま1.2km程南下すると正面に「南宮大社」があります。この神社から南西へ約300mの「東蛇溜池」東側が陣所跡です。「南宮大社」南西奥のハイキングコースで両側に池が見える所に安国寺恵瓊陣所の説明板があります。そこから説明板の左手のルートで更に池の上まで登り、階段が右に曲がる所で真っ直ぐ進み(東へ入る)、「東蛇溜池」の東側尾根上を北へと歩いて陣所に行きました。車は南宮大社の駐車場に停めました。
「東蛇溜池」の東を北へ歩いていたら、急に右手に立派な空掘があり、更に北へ進むと以前は広場だった雰囲気の場所に出て、ゴムタイヤの上方がサークル状に出ていたり、灰皿があった。更に北へ行くと、今度は左手に堀があり、そこから高台になった甘い削平地があり、更に北には堀切があった。これだけ遺構が見られて満足し下山した。堀切から北西方向へ下りて行ったら、南宮大社の鉄塔の裏手に出た。ということは、鉄塔から南東へ歩いたら陣所に辿り着けるかも?
安芸の守護武田氏の遺児といわれる。武田氏滅亡後、安芸安国寺で出家した。毛利氏の外交僧として活躍し、豊臣秀吉の才能を見抜いた話は有名です。関ヶ原合戦では石田三成らと共謀して毛利輝元を西軍の総大将に引き込むことに成功した。合戦当日は南宮山のふもとに陣を構えたが、吉川広家の裏切りで動くことができず敗戦後逃亡。京都に潜んでいるところを捕まり六条河原で斬首された。(現地説明板より)
土橋
南宮山の鉄塔