城跡の地図
岐阜城
別名 稲葉山城
所在地 岐阜市天守閣
遺構等 模擬天守、石塁、天守台、櫓跡
現状 公園
築城年 建仁元年(1201)
築城者 二階堂行政
歴代城主 二階堂、斉藤、織田、池田、織田
形式 山城
訪城日 2004/8/7
【道案内】


【感想・メモ】
ぎふじょう
【歴史】
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井戸(金銘水)
JR岐阜駅から国道256号で北上します。2.5km程北上した信号で国道256号は右へ折れるので右折し、300m程東進した信号を左折します。そこから300m程北上して右折した正面の山(金華山)が城跡です。周囲に岐阜公園用の駐車場があります。
冠木門を過ぎ、上格子門跡、馬場跡を通り過ぎると大きな堀切に出ます。気象台がある台所曲輪の手前左手に秀吉の千成瓢箪の案内があり、この千成瓢箪発祥の地から右手に行き下を見下ろすと井戸があります。でも井戸まで下りる道がないので遠くから眺めるだけで断念。本当は更にもう1段下にも井戸があります。場所としては、気象台の西側に2段曲輪があり、そこに井戸があります。また、台所曲輪の気象台を通り過ぎた所に左手に下りていく道があります。ここを行くとでっかい井戸があります。これが二の丸西側にある軍用井戸「金銘水」で、説明板もあります。台所曲輪からは模擬天守が正面に見えて、写真スポットであるのと同時に、周辺は石垣が沢山あります。そこから天守の南下にある本丸井戸を見に行きました。本丸井戸は上に竹で作った蓋がしてあったので、中を見ようと開けてみたら今度は鉄格子に網網が。すごい厳重に塞いであって中が見えません。ちょっと網が破れているところから覗いたら石が見えたのでやっぱり石組みのようです。ここから上を見上げると、立派な石垣があります。そこから七曲りコースで下山する事に。一般向けで一番ラクそうだし、ここが大手道で途中に曲輪や大手門などがあるから。下りだしたのはいいのだけど、縄張図を見てこれがこの曲輪だ〜とか分かるのですが、何の表示もない。期待した大手門の所も、何の表示もなくてガックリ。あのロープーウェイから岐阜城の模擬天守までには、あれだけキッチリ表示があったのにぃ。それにしても、この道は長くて、2kmぐらいありました。
建仁元年(1201)二階堂行政が築城した。時代を経て、稲葉山城時代に斎藤道三が居城し、義龍、龍興と三代続いたが、永禄10年(1567)織田信長が美濃に進出し攻め落とした。信長は岐阜城と改め居城した。天正3年(1575)信長は家督を信忠に譲り、岐阜城も共に与えた。天正10年の本能寺の変の後、城主はめまぐるしく代わったが、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で東軍に攻められ、城主・織田秀信は投降、岐阜城は焼失した。