城跡の地図
JR太多線「下切駅」から南西へ約1.8km。県道113号で国道248号を西へくぐり、250m程西進して左手路地へ入ります。更に300m程西進すると左手に「今老人憩いの家」があり、ここに駐車しました。憩いの家に城の案内があり、それに従い80m程南下した左手小山が城跡です。
【歴史】
天文年間(1532-55)、小池家継が築城したといわれる。永禄8年(1565)、中濃を平定した織田信長は、森可成を金山城主とし東濃の旗頭とした。小池氏は現在の可児市南西部を支配していたこの地方の豪族であったが、この頃信長に帰順し、森氏の家臣となったとされる。天正10年(1582)信長が本能寺の変にて討たれると、それまで森氏に従っていた東濃の武将たちはこぞって反旗を翻し、小池氏も同様に反抗したが、すぐに森長可に鎮圧され、森長可の命により城を退去し帰農したといわれる。

参考資料
現地説明板
『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集(可茂地区・東濃地区)』

登城口(今老人憩いの家)


今城
【感想・メモ】

主郭

2003年に訪れた時と随分雰囲気が変わっていてびっくり。城跡は綺麗に整備され、各所に表示がありとても見やすく、登城口に城址碑や説明板があります。、主郭には土塁が巡り、南側の喰い違い虎口と堀切、土橋が見所で、堀切から二郭の間へ横堀があるのも面白いです。
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別名
所在地 岐阜県可児市今
遺構等 曲輪、土塁、横堀、堀切、井戸、虎口、土橋、碑、説明板
現状 城址公園
築城年 天文年間(1532-55)
築城者 小池家継
歴代城主 小池氏
形式 平山城(比20m、標160m)
訪城日 2011/12 感想

【道案内】
いまじょう