城跡の地図
片山城
別名
所在地 池田町片山
遺構等 曲輪、堀切、土橋、碑
現状 山林
築城年
築城者 不破氏
歴代城主 不破
形式 山城(比150m)
訪城日 2004/11/13
【道案内】


【感想・メモ】
かたやまじょう
【歴史】
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城址碑(主郭の南の郭)
国道417号の八幡地区で県道53号に入り1.5km程西進します。「グリーンセラ池田温泉」の手前で左折して県道241号に入り「円興寺トンネル」のすぐ手前右手にある東海自然歩道へ入ります。(東海自然歩道の案内があります)城跡はトンネルの上の西側になります。東海自然歩道で円興寺へ向かう方へ登り出します。
東海自然歩道のピークまで登ったら、自然歩道から外れて西(愛宕山)へ少し行き、北(右手)に平坦地&道が見えたらそちらへ行きます。ここからは、折れた枝が積もり積もっていて歩きにくいです。うっすらとした堀切を越え、もう少し北へ行くと、今度はさっきよりもはっきりした堀切があります。その先に切岸が見えるのでここをあがると曲輪になっており、城址碑がありました。途中まで、遺構があまりにも不明瞭なため、縄張図と同じといえば同じだけどちょっと自信がなかったのですが、この城址碑を見て、確実に片山城である事が分かりホッとしました。この郭と北側の郭との間の堀切は結構しっかりしていて、唯一の見所かも?この北側の郭が主郭のようですが、結構草木が植わっていて歩きにくいです。枝に引っかかりながら歩き回るも、あとはこれといった見所もなかったため引き返すことにしました。城域としては岐阜県下最大級の城郭と調査報告書に書いてあったのでかなり期待して行ったのですが、その割には、遺構が埋もれて明瞭でなかったので物足りなかったです。かなりガックリ。
天正元年(1573)頃、西保北方城主・不破河内守光治が守っていた。光治は初め斎藤氏に仕えたが、永禄10年(1567)、織田信長の美濃侵攻後は、信長の家臣となった。
堀切