城跡の地図
別名 長亭軒城
所在地 岐阜県関ケ原町松尾
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、竪堀、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 元亀元(1570)
築城者 浅井長政
歴代城主 浅井、不破
形式 山城(比210m)
登山口から主郭まで約35分
訪城日 2003/4/19
【道案内】


【感想・メモ】
まつおやまじょう
松尾山城
【歴史】
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井戸
東郭土塁
名神高速道路「関ヶ原インター」を降り、国道365号で上石津方面へ南下します。すぐに高速のガ−ドをくぐりますが、くぐってすぐを右折して、1.3km程高速沿いに細い道を西進すると藤古川の手前で道が左に折れ、少し行くと橋があるので藤古川を渡ります。渡って少し南下すると5台分程の駐車場があります。こここから案内が出ているので、登山する事になります。ここからだと山の北東から登る事になるのですが、山の南側にある「聖蓮寺」の付近からも案内が出ていて登れます。この付近は東海自然歩道として整備されているため、登山道はしっかりしていて、夏場でも大丈夫です。
私は南側から登りました。まずは一気に主郭へ。虎口の所に櫓台の土塁がありステキ♪主郭への枡形虎口もかなり格好いい!主郭内は土塁がしっかりと巡り、松尾山城と小早川秀秋陣地跡の碑もある。次に主郭から北へ少し下り、右手(東)の曲輪へ。入口に碑があるが何が刻まれているか不明。ここは右手(南)の土塁がうねっていて格好いい!更に奥(東)へ進むと曲輪が3段になっており、最後の段は堀溜って雰囲気で、そこの土塁がかなり高い。そこから向こう(東)は堀切になっていて、下りてみると、右手(北)に2本、竪堀がありました。特に西側の竪堀は深かった。ここから先(東)もまだ曲輪があるようだけど、縄張図を見ると大した遺構が無さそうだったので引き返し違う曲輪へ。一旦主郭方向に少し戻り、今度は主郭の北〜西の曲輪を見る事に。主郭の真下(北)に、かなり明瞭で深い堀切が一本ありました。更に西へ行くと、曲輪と土塁がかなり巡っており、見所満載♪土塁の高さもかなりあって、見応え大有り。特に西側の曲輪で虎口が2回屈折した形になっていたのがステキ☆この曲輪から更に北に下りて行くと、土塁が真っ直ぐくっきりあり、そこの隅に井戸がありました。適当に主郭下(北〜西)の曲輪を一周見て、次は主郭の南側を見る事に。南に少し下り、すぐ右手(東)の曲輪へ行って見ると、ここも土塁が。また主郭南側の道へ戻り、更に下りて行くと、土塁が湾曲していて格好いい!そのまた南へ下ると、右手(東)に竪堀があり、そこの南側には堀切が。かなり感動モノの松尾山城でした。
元亀元(1570)、浅井長政が近江と美濃の国境の城として樋口直房を置いたが、織田信長の近江侵攻に投降・開城した。その後、信長方の城として不破光治が在城したが、近江平定後不要となり廃城となった。慶長5年(1600)の関が原合戦時、西軍総大将である毛利輝元を入れるため、石田三成が普請させ、大垣城主・伊藤盛正に警備させたが、合戦前日、小早川秀秋が盛正を追い出して布陣した。
主郭南虎口