大森城 |
東の横堀 |
永禄・天正年間(1558-92)、奥村又八郎元広が築城した。天正10年(1582)、金山城主・森長可に攻められ落城した。又八郎は城を逃げ、後に加賀前田氏に仕えた。 参考資料 現地説明板 『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集(可茂地区・東濃地区)』 |
南郭南の横堀 |
神社手前に城跡碑が、境内に縄張図付きの説明板があります。現地説明板だと郭が3つしか書かれていませんが、実際はもっと複雑で郭が7つあり、主郭は真ん中かその南か悩みます。真ん中の郭は酷い藪で、その南郭には南と西に土塁があります。この南郭とその南の郭との間の堀切や真ん中の郭と南郭との間の堀切が特に明瞭です。また、圧巻は城域を取り囲む横堀です。藪で少し見難いですが、技巧的で面白いお城です。 |
南郭 |
別名 | |||
所在地 | 岐阜県可児市大森 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、堀切、虎口、土橋、碑 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 永禄・天正年間(1558-92) | ||
築城者 | 奥村又八郎元広 | ||
歴代城主 | 奥村又八郎元広 | ||
形式 | 平山城(比20m、標145m) 大森神社から主郭まで約5分 |
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訪城日 | 2011/12 | 感想 | ◎ |
おおもりじょう |
JR太多線「下切駅」から北東へ約1km、海印寺から南へ約220m。「大森公民館」バス停の40m北を西へ入ると正面に大森神社があります。この神社背後の山が城跡で、神社に駐車場があります。 |