登城口の地図
箱館戦争の時、最も激しい戦いがあった台場です。函館の押付台場と向かい合い、函館湾を守るため、最初は寛政〜文政年間(1799-1821)に築かれ、南部藩が守っていた。安政元年(1854)蝦夷地(北海道)は幕府直轄領となり、函館奉行・竹内保徳などによりこの台場を増強した。明治2年(1869)箱館戦争ではこの台場を幕府脱走軍が修理し、大鳥圭介ほか約500名が守っていたが、同年4月に官軍の激しい攻撃にあい、七重浜方面に逃げた。この戦いで、衝鋒隊長天野新太郎ほか死傷者約70名を出した。(現地説明板参照)
矢不来台場
別名
所在地 北斗市(上磯町)矢不来
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 寛政〜文政年間(1799-1821)
築城者 南部藩
歴代城主 南部藩、幕府脱走軍
形式 台場
訪城日 2008/7

【歴史】
【道案内】
やふらいだいば
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国道228号「矢不来バス停」の少し南側で西へ入り、JRのガードをくぐり、道なりに800m程坂を上がっていくと右手に説明板と碑があります。この右手が登城口です。
登城口から山を上がっていくと、土塁が見えてきます。その北側には空堀もあり、更に周辺を歩くと土塁があります。雰囲気的には館のようにも見えたのですが、藪がひどくて全体の様子が掴めず、良く分かりませんでした。この下にトンネルが掘られ、高速道路が通る予定のようです。
【感想・メモ】