城跡の地図
丸岡城
別名 霞ヶ城
所在地 丸岡町霞1-59
遺構等 現存天守、井戸、石垣、土塁、碑、説明板
現状 城址公園
築城年 天正4(1576)
築城者 柴田勝豊
歴代城主 柴田、本多、有馬
形式 平山城
訪城日 2005/9/25
【道案内】

【感想・メモ】
まるおかじょう
【歴史】
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井戸
北陸自動車道「丸岡インター」を下り、県道38号を700m程行った2本目の信号を右折して県道17号に入ります。そこから1.2km程北上した右手が丸岡城です。
県道17号沿いに、丸岡城見学者用の駐車場がありました。30分まで無料で、それ以上は有料でしたが安かったです。(でも、以前裏手から入った時は広い無料駐車場がありました)そこから丸岡城へ行く途中、右手にちょっとした休憩所みたいなものも設けてありました。やっぱり現存天守は素晴らしい!石垣や井戸を見ながら、写真撮影に必死。やっぱりいいなぁと感嘆の声をあげながら天守の真ん前で暫く佇んで見ていました。
天正4年(1576)、柴田勝豊が北ノ庄城の支城として築城した。天正10年、本能寺の変で信長の死後、勝豊は近江長浜へ移ったため、安井家清が城番となった。天正11年、賤ヶ岳合戦で敗れた北ノ庄城主・柴田勝家が自刃した後、丸岡城は丹羽長秀の持城となり、その後青山宗勝が城主となり、子の忠元が継いだが、慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で忠元が西軍に与したため改易され、福井城主・松平(結城)秀康の所領となり、今村盛次・本多成重が城代となった。慶長18年、松平忠直改易後には本多成重が4万3千石で入城した。本多氏は、元禄8年(1695)改易となり、替わって越後糸魚川より有馬清純が5万石で入城した。以後、有馬氏が8代160年間居城し、明治を迎えた。