長崎城 |
別名 | |
所在地 | 丸岡町長崎 |
遺構等 | 土塁 |
現状 | 称念寺 |
築城年 | 南北朝時代 |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2005/9/25 |
ながさきじょう |
国道8号「八ツ口」から500m程北上した「一本田」信号を左折して県道10号に入ります。1km程西進した信号を左折して600m程南下した右手に「称念寺」があります。この称念寺が城跡です。お寺に参拝者用無料駐車場があります。 |
新田義貞の墓所があります。土塁が残っているらしいのですが、どれのことかよく分からなかったです。 |
正応3年(1290)、時宗二代目・真教上人に称念坊が長崎道場を寄進し、称念寺と呼ばれるようになった。長崎城はこの寺と一体となった、南北朝時代における南朝方の拠点の城の一つだった。建武5年(延元2、1338)、新田義貞が灯明寺畷で戦死した際、称念寺の僧が遺体を引き取り埋葬した。その後も、称念寺は越前での時宗普及の拠点として、足利氏に保護された。 |
称念寺 |
新田義貞墓所 |