城跡の地図
後瀬山城
別名 武田氏城
所在地 小浜市伏原
遺構等 曲輪、土塁、空堀、竪掘、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 大永2(1522)
築城者 武田大膳大夫元光
歴代城主 武田、丹羽、浅野、木下
形式 山城(比120m)
訪城日 2006/10/28
【道案内】


【感想・メモ】
のちせやまじょう
【歴史】
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JR小浜線「小浜駅」から西へ約300mの「愛宕神社」が登城口。国道27号「後瀬山トンネル」のすぐ東側の信号「後瀬山東」を北へと県道1号に入ります。80m程進んだ1本目の路地を左折し、100m程進むと正面に「愛宕神社」があります。道路左手に神社の施設?があり、ここの空き地に駐車できます。神社の鳥居からが登城道で、左脇と鳥居をくぐってすぐにお城の説明板があり、お城のパンフも置いてありました。ます。ちなみに城跡北側の「小浜小学校」「空印寺」は若狭武田氏館跡です。
登城道は整備され歩きやすいです。10分程登ると曲輪群の案内板があり、そこから右手に段郭が見られます。更に5分程登ると堀切・土橋があり、そこから少し行くと主郭下に出ます。主郭を見上げると、石段と石垣が見られとてもカッコいいです。また主郭側面には石垣があり、大きな石を使っているのでダイナミックな感じがします。主郭には愛宕神社があり、土塁と石垣が見られます。主郭背後から下り、西側へ回ると空堀もありました。そこから更に西側へ下りていったら、立派な竪掘4本が連続で見られ、大満足しました。
大永2年(1522)、若狭守護・武田大膳大夫元光が築城した。城主は元光、信豊、義統、元明と4代続いたが、永禄11年(1568)越前守護・朝倉義景がこの城を攻め、元明は降伏し、越前へ連れ去られた。天正元年(1573)朝倉氏滅亡後、丹羽長秀が国主としてこの城に入り、石垣を積むなど補修した。現在の石垣はその時のものである。その後、浅野長吉、木下勝俊など豊臣秀吉の家臣が若狭国主としてこの城を利用したが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の功で京極高次が国主となり、小浜城を築城、後瀬山城は廃城となった。
縄張図(現地説明板より)