西光寺丸城 |
別名 | |
所在地 | 南越前町(今庄町)二ツ屋 |
遺構等 | 曲輪、堀切、土塁、空堀、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 山城(比320m) |
訪城日 | 2005/10/10 |
さいこうじまるじょう |
堀切 |
国道365号「板取地区」で「今庄365スキー場」の案内が出ているので、そちらへ向かいます。スキー場の施設がある駐車場から更にスキー場の間を走っている道があるので、その道で山を更に登ります。ズンズン車で登っていき「言奈地蔵」を過ぎて更に登ると、道が広くなっていて「峠の茶屋」や「木ノ芽城塞群図」という大きな案内板が右手にあります。ここから更に車で進むと、右手に「西光寺丸登リ口」の白い標柱が立っています。ここから登ったら城跡です。 木ノ芽城塞群図は、観音丸城のページをご覧下さい。 |
主郭の手前にお城の説明板があります。主郭は土塁が巡り、何かの碑が立っていました。虎口もよく分かり、奥には堀切もあります。堀はスゴイ藪だけど、土橋が分かります。少し離れたところにも郭があったけど、そっちは行くのをやめてしまいました。 |
天正2年(1574)、越前で一向一揆が起き、織田方の守護・桂田長俊が殺され一向一揆門徒が支配する国となった。翌天正3年、織田勢が越前侵攻する際、鯖江西光寺五代・真敬が門徒と共にこの城に籠もった。しかし織田勢の攻撃に敗れ、真敬は殺された。 |
主郭土塁 |