新保山城
最初は道があっても倒木や藪で歩きにくく、途中からは獣道で適当に直登しました。悪路と藪に閉口しながら25分程登ってようやくアンテナが立つピークに達しましたが、城跡はまだ先(北東)です。更に12分程登って堀切に出ました。更に進むとまた堀切があり、主郭手前には井戸がありました。主郭は細長く、北側に郭が続き、東側に土塁がある郭の先に堀切があります。更にその北にも郭があり、西側の谷を隔てた先にも郭が続くようですが、荒れた山を歩くのに疲れたのと、気分が盛り下がってしまい、途中で下山しちゃいました。遺構はしっかりしているのですが、荒れた山は全然楽しくなく、しかもかなり登るので、あまりオススメできません。登る際は下山時に迷わないために目印をつけて行った方が良いです。
【感想・メモ】
宮川小学校から県道219号で300m程南下し、「新保」の看板がある所で左折します。600m程北東へ進んで左折し、100m程北上した突き当りを右折します。100m程進むと左手に墓地があり、この80m程先から民家が建ち並びますが、この民家が見え始めた左手に山へ入っていく道があります。ここが登城口で、入ってすぐ右手に尾根へ登る道があるので、そちらへ行きます。墓地付近の余白に駐車可能です。
【歴史】
大永年間(1521-28)、粟屋元隆が築城した。粟屋氏は守護武田氏の奉行に列していたが、守護権力と並ぶ勢力を誇っていた。天文7年(1538)、元隆は守護武田信豊に叛乱を企てたが敗退し没落した。その後、武田信豊の弟・信高が新保城主となり、子・信方が跡を継いで衰退する武田氏の回復を目指したが、越前朝倉氏滅亡後、天正12年(1584)の丹羽長秀の若狭入部と同時に没落し、城も破却された。(『日本城郭体系11』参照)
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

登城口

主郭西方の堀切


北郭西側の堀切

別名 霞美ヶ城
所在地 小浜市新保
遺構等 曲輪、土塁、堀切、井戸
現状 山林
築城年 大永年間(1521-28)
築城者 粟屋元隆
歴代城主 粟屋、武田信高・信方
形式 山城(比260m)
登城口から主郭まで約45分
訪城日 2008/4/30
しんぼやまじょう
TOPページへ

主郭北方の郭の土塁

主郭