大聖寺城 |
別名 | 錦城 |
所在地 | 加賀市大聖寺地方町 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、茶亭 |
現状 | 錦城山公園、山林 |
築城年 | 鎌倉時代 |
築城者 | 狩野一門 |
歴代城主 | 狩野、朝倉、拜郷、溝口、山口、前田 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2006/3/25 |
だいしょうじじょう |
長流亭 |
縄張図(現地説明板より) |
JR北陸本線「大聖寺駅」から北西へ約1.2km。県道141号と国道305号が交差する「大聖寺関町」信号を北東へ進み、200m程行って右折、すぐを左折して少し北上した左手が「錦城山公園」で城跡です。公園に無料駐車場が完備されています。 |
公園として整備され道はしっかりしていますが、ほとんど階段なためちょっと疲れます。それぞれの郭へ行き来できるよう、遊歩道があるので助かります。登り始めてすぐ左手にパトロン事件の舞台となった「贋金造りの洞穴」があってびっくりしました。公園から300m程北へ行った旧大聖寺川のほとりに「長流亭」があります(江沼神社のすぐ北)。3代藩主・前田利直が休息所として建造した大聖寺城唯一の建物遺構です。 |
鎌倉時代、狩野一門が築城し、南北朝以後は加賀一向一揆の重要な軍事拠点となった。弘治元年(1555)、越前朝倉宗滴(教景)が加賀に侵入し、大聖寺城は朝倉氏が加賀一向一揆勢と対峙する城となった。天正11年(1583)、大聖寺城主拝郷家嘉は柴田勝家と共に滅び、勝家を破った豊臣秀吉は溝口秀勝を大聖寺4万4千石の城主とした。慶長2年(1597)秀勝は越後新発田へ移り、山口宗永が城主となったが、宗永は関ヶ原合戦で西軍に属したため、金沢城主前田利長に攻められ落城し自刃した。関ヶ原の戦功で大聖寺城は前田利長が領し城代を置いたが、元和(1615)の一国一城令により廃城となった。 寛永16年(1639)、3代藩主・前田利常は分地を許され、子・利治に大聖寺7万石を分知し陣屋を構えた。以後、大聖寺前田氏は14代続き明治を迎えた。 |