文明6年(1474)、能登守護職で七尾城主である畠山義統の三男・畠山義智が北能登の鎮台として築城した。その後、義成-義遠-常重と続き、5代目の義龍の時から松波氏を称した。天正5年、上杉謙信に攻められ、時の城主・義龍の子・義親は城を捨てた。 |
国道249号「松波西」信号で国道は北へ折れますが、ここを東へと県道35号に入ります。300m程東進すると道路にお城の案内があるので、そこを左折します。道なりに山の中を上がっていくと武道館手前で道が終点となります。この付近一帯が城跡で、道の終点〜武道館にかけて駐車できます。 |
東先端部の城址碑
のと鉄道の跡
松波城 |
東先端部の堀切
庭園跡
別名 | 松鶴山松波城、聴鶴山緑の城 |
所在地 | 能登町(内浦町)松浪 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、庭園、堀切、碑 |
現状 | 松波城址公園 |
築城年 | 文明6(1474) |
築城者 | 畠山義智 |
歴代城主 | 畠山 |
形式 | 平山城(比20m) |
訪城日 | 2007/7/28 |
まつなみじょう |
武道館のすぐ東に「松波城本丸」の石碑があります。更に東へ行くと県指定史跡である枯山水庭園遺構がありますが、発掘調査中なのか青いビニールシートがかぶっていて、史跡とは思えないような雰囲気でした。そのすぐ東に大手門址の石碑があり、その先は廃線となった「のと鉄道」の跡が見下ろせます。更に東の曲輪には城址碑があり、その先の曲輪との間の堀切が立派です。この丘陵東の先端部分にある曲輪3つがまだ遺構の保存状態が良いといった感じで、他はかなり改変されていました。 |