石動山城
伊須流岐比古神社の横に大宮坊が復元されています。この大宮坊に向かって右手の道を入って行き、すぐの分かれ道を左手へ行くと「東林院跡」や「本堂建物跡」の礎石があります。この付近は既に城域です。ここから更に北へ進むと左手に郭が見えてきて、高い切岸を階段で上がると主郭です。主郭の東側には横堀がありますが、藪でわずかに分かる程度。更に東には竪堀や堀切もあるようですが、藪だったので見に行くのをやめてしまいました。
【感想・メモ】

本丸切岸

【歴史】

【道案内】
城跡の地図
天正4年(1576)、上杉謙信が七尾城攻めの際、天平寺伽藍を守るために本城を築き、直江大和守に守備させたといわれるが、謙信が一時的に使用したとしても、石動山宗徒が天平寺伽藍を守るために、築城・使用したと思われる。
国道159号「ラビア鹿島」信号を南東へと県道18号に入り、1.2km程進んだ「芹川」信号を左折して県道244号に入ります。900m程北上した「二宮バス停」付近を右折し(石動山の案内あり)、6km程東進すると、右手に「石動山史料館」があります。この先に無料駐車場があるので車はそこに駐車しました。「大宮坊」から南東へ進むと、すぐに左に入る道があります(城跡の案内あり)。ここから入ると城跡です。

大宮坊

別名
所在地 中能登町(鹿島町)石動山
遺構等 曲輪、堀
現状 山林
築城年 天正4(1576)
築城者 上杉謙信
歴代城主 上杉
形式 山城(比30m)
訪城日 2007/7/27
せきどうざんじょう
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宝池院