城跡の地図
末森城
別名 末守城
所在地 宝達志水町(押水町)竹生野
遺構等 空堀、礎石、碑、説明板
現状 山林
築城年 天文19(1550)
築城者 土肥但馬
歴代城主 土肥但馬、畠山義続、奥村永福
形式 山城(比118m)
訪城日 2002/11/2
【道案内】


【感想・メモ】
すえもりじょう
【歴史】
TOPページへ
若宮丸
鳥瞰図(現地説明板より)
国道159号を白尾から羽咋方面へ北上していくと、道の途中に案内が沢山出ています。最後に左に曲がる所には、右手にすごく大きな看板が出ていたので、迷わず行けます。少し下の方に綺麗な駐車場があり大河ドラマ記念で作られた説明板もありました。私はここから歩きましたが、普通車専用駐車場と案内が出ているので、それに従ってもう少し上まで車で行けます。そこにも駐車場と説明がありましたが、下にあった説明板のほうが、綺麗で丁寧でした。上の駐車場に本丸まで15分という看板もあります。
上の駐車場から橋を渡ると、ここにも大河で出来た真新しい石碑がありました。城は、本丸を中心に曲輪が残り、土塁や空堀が見られました。本丸からはかすかに日本海が見えます。ただ、雨が降って下がぬかるんでいたので、歩きにくかったです。
天文19年(1550)、土肥但馬が築城した。天正5年(1577)、七尾城を落とした上杉謙信が織田軍北上の知らせを受け、南下して末森城を攻め落とした。天正12年(1584)、越中の佐々成政が1万5千の兵で末森城を攻めたが、城主・奥村永福はわずかな兵で守り抜き、加賀初代藩主・前田利家の援軍も得て、佐々軍を破り、前田家の越中占領の端緒を開いた。利家は末森城を廃城とした。
竪堀