城跡の地図
荒砥城
別名 山田城、砥沢城
所在地 千曲市(上山田町)上山田3509-1
遺構等 曲輪、復元門、復元櫓、碑、説明板
現状 城山史跡公園
築城年 大永4(1524)
築城者 山田越中守二郎
歴代城主 山田、屋代
形式 山城(比215m)
訪城日 2006/9/18
【道案内】


【感想・メモ】
あらとじょう
【歴史】
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県道498号の万葉橋で千曲川を西へ渡り、「城山入口」信号を直進して山へと上がっていきます。右手に観音寺を過ぎ、更に500m程進むと史跡公園が右の案内があるので、そこを右折します。すると「城山史跡公園」に辿り着き、ここが城跡で無料駐車場が完備されています。
戦国ごっこが出来る遊び場と言った雰囲気の公園になっている。遺構は郭しか残っていないけど、復元した門・櫓・石垣・逆茂木などで随分楽しく見られるお城だ。かつての城跡の雰囲気が分かりやすく再現され、櫓の上からほぼ360度の景色を楽しめる。
大永4年(1524)、平安末期から続く在地の豪族・山田越中守二郎が築城した。山田氏の滅亡後、荒砥城は屋代氏に属したが、その間、地方豪族による城番管理がなされた。天正10年(1582)武田氏滅亡後、屋代秀正は上杉景勝に属し、海津城代の山浦景国(村上国清)の配下となった。天正11年、屋代秀正は徳川家康と通じ荒砥に籠城したが、上杉景勝配下の軍勢に攻められ落城した。秀正は家康を頼って敗走し、以後荒砥城は廃城となった。屋代氏は徳川の旗本として近世まで存続した。
案内図(現地案内板より)