光城 |
駐車場から南南西へ200m程歩くと堀切や竪堀があり、二重堀切の先が三郭、その上が主郭となります。主郭には古峯神社が鎮座しており、背後に土塁があります。ここからの眺望も良く、ここはハイキングコースとして人気があるのか、何組かの人たちが訪れていました。主郭の南西には堀切を隔てて二郭があり、その先にも堀切が2本あります。車で山頂近くまで行ける上に、城址公園のように整備され見やすいので、お手軽に楽しめます。 |
主郭
別名 | 大城、仁場城 | ||
所在地 | 長野県安曇野市(豊科町)豊科田沢 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、竪堀、堀切、碑、説明板 | ||
現状 | 光城山、古峯神社、城址公園 | ||
築城年 | 16世紀 | ||
築城者 | 光六郎幸元 | ||
歴代城主 | 光氏、小笠原氏 | ||
形式 | 山城(駐車場から比30m) 標高911.7m | ||
訪城日 | 2009/10 | 感想 | ○ |
ひかりじょう |
JR篠ノ井線「田沢駅」から北へ約2km。国道19号「田沢北」信号を東へと県道57号に入り、1.2km程東進して左折します(道路に光城の案内有り)。道なりに3km程上がっていくと駐車場があります。 |
16世紀、海野六郎幸元が築城し、光氏を名乗ったといわれ、海野氏は鎌倉時代にこの地に住みついた。当時、海野氏の一族は会田、刈谷原、田沢(上の山)、塔ノ原にそれぞれ城を築いて狼煙等を使って連絡を取り合っていた。光城は犀川右岸丘陵上の尾根道南端を固めており、武田信玄の松本平進攻に対しても兵を配備し籠城したとみられる。しかし、天文22年(1553)刈谷原城攻めに際し、戦わずして落城した。その後、天正10年(1582)松本城主となった小笠原貞慶によって修復されたと考えられる。(現地説明板より) |
縄張図(現地説明板より)
二重堀切