岩井城

二郭東の横堀

案内板から50m程西へ進むと、左右両側の山へ道がありますが右手へ行きます。登城道はあるものの、途中から藪になってきました。100m程登ると右手に横堀、左手に竪堀があり、更に100m強登ると二郭の堀や竪堀が見えます。この二郭の堀を歩いていくと南東側に竪堀が落ちています。二郭の上が主郭ですが、かなり藪。主郭の北に堀切があり、その先にも郭や堀切があるのですが、藪を掻き分けて歩くため、北西の端まで行かずに引き返しちゃいました。更に西方には旗塚なんてのもあるようです。
【感想・メモ】

主郭


登城口

別名 吉の城山
所在地 長野県中野市岩井
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀、説明板
現状 山林
築城年 戦国期
築城者 岩井氏
歴代城主 岩井、市河
形式 山城(比75m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2008/6
登城口の地図
城跡の地図
【道案内】
【歴史】
いわいじょう
国道403号「蛭川橋」信号を南西へと県道38号に入り、700m程進んだ4本目の路地を左折します。700m程南東に進んだ2本目の路地を右折し、500m程南下して右手に「宗音寺」を過ぎ、林道を1.2km程進んで右折します(右折後からは未舗装道で、右折する道に城山と書かれた看板が倒れていた)。ここから200m程進むと終点で登城口となります。林道終点に駐車可能です。
岩井氏は泉八家の一家で、室町時代、尾崎の泉政重の末弟重直が岩井に館を持ち、この地に山城を築き岩井姓を称したと言われるが、高梨一族との説もある。高梨氏は岳北地方まで勢力をのばしていたが、武田氏侵攻の際、岩井氏は越後へ逃れた。永禄4年(1561)の甲越合戦の際、岩井民部少輔信能が上杉謙信の御手廻りを務めるなど、岩井氏は上杉の信任が厚く、天正8年(1580)景勝の越中出兵の際には春日山城の留守を預かり、慶長3年(1598)景勝の会津移封に従った。岩井城は永禄11年に市河信房に与えられ、天正13年には信房の弟に安田の地を譲っている。(『図解 山城探訪 第十二集』参照)
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