長野県のお城
かすがじょう
春日城
別名 穴小屋城
所在地 長野県佐久市春日
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切
現状 山林
築城年
築城者
歴代城主
形式 山城(比125m、標892m)
登城時間 登城口から主郭まで約18分
主郭背後の堀切
訪城日 2013/3 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
康国寺南西の山が城跡。春日郵便局の南約80mで県道151号が西へ折れるのに従い右折し、180m程西進して左折します。70m先で道が左折となったすぐ右手が登城口で、そのまま40m程直進した左手にある公民館に駐車させて頂きました。登城口は他に、先程の県道151号で折れた所を折れずにそのまま170m程西進した左手にある大日堂や、康国寺の南にもあります。
【感想・メモ】
登城口にある鳥居をくぐり、左右にある段郭や堀切を過ぎて7〜8分で舞台がある郭に至ります。その先、更に堀切や段郭を経て7〜8分で秋葉神社が鎮座する二郭となります。主郭は更に南へと堀切を過ぎた先にあり、南側の土塁が高くしっかりしています。その背後の堀切が谷のように深く、更に連続する堀切に圧倒されます。南尾根にはその先の郭の背後にも堀切があり、東尾根には段郭が続く北斜面に竪堀があります。また、二郭北下にも堀切があり、そこから北尾根を下るとうっとすらと堀切があります。更に下ると墓地があり、そのまま下ると大日堂へ、または数段下の墓地から斜面を上がる道を進むと舞台のある郭へ戻れます。また、康国寺付近は芦田氏居館跡です。
【歴史】
中世初頭、春日刑部少輔貞親から始まる袮津氏系春日氏が築いた。永正13年(1515)望月氏に攻められ望月氏系春日氏の居城となり、天文10年(1541)には武田氏の侵攻により依田系の芦田信守が入り、その子信蕃と二代にわたって居城とした。天正3年(1575)、東海地方へ転戦していた信守は二俣城で戦死し、天正10年(1582)武田家滅亡後、信蕃は徳川氏に属し春日城へ戻った。しかし翌天正11年、信蕃は弟と共に戦死し、信蕃の長男康国が跡を継いだ。康国は家康から松平姓を賜り小諸城6万石を継いだが、天正18年(1590)小田原の役で上州石倉城攻めの際謀殺された。春日城はこの頃廃城となったと思われる。その後、跡を継いだ信蕃の次男康真(康勝)が館跡に康国を弔う康国寺を創建した。
参考資料
『図解 山城探訪』宮坂武男著
『長野県の中世城館跡分布調査報告書』長野県教育委員会発行
主郭 舞台のある郭背後の堀切 遠景 登城口
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