霞城
別名
所在地 長野県長野市松代町大室
遺構等 曲輪、石垣、説明板
現状 山林
築城年
築城者 大室氏
歴代城主 大室
形式 山城(比50m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2011/4 感想

主郭

以前(2006年9月)訪城したのと同様に城跡へは山の東側(大室トンネル東端のすぐ北側、道路突き当たり)から、山裾のイノシシ除け柵を越えて登ったのですが、道はすっかり荒れていました。尾根に出たら遊歩道があり、古墳館から来ているようです。城内も随分と整備され、以前の藪が嘘のよう。主郭には説明板も設置されていました。霞城は国史跡の大室古墳群の中にあるため、一緒に整備してくれたのでしょうか。総石垣の城で、平たい石で積まれた石垣が随所に見られますが、特に主郭の北西側が高さがあり、折れも見られ堪能できます。北尾根に進むと永福寺へ下る道もあったので、永福寺から登るのが良いでしょう。
【感想・メモ】

主郭北西の石垣


長野電鉄屋代線「大室駅」から南南西へ約800m、上信越自動車道「大室トンネル」の北西の山が城跡です。城の北麓にある「永福寺」または城の東南東約600mにある「大室古墳館」の方に登城口があるようです。
大室氏代々が居城した。小笠原長清の末裔時光(大室牧の牧監)は地名から大室氏を称し、大室氏は天文年間(1532-55)村上義清に仕え、村上氏滅亡後に武田信玄に属した。武田氏が滅ぶと、この地を支配していた森氏に仕え、その後織田信長に従い、更に上杉景勝の時代には海津城代を務めた。上杉景勝の会津移封後は上杉氏に従い会津に移ったため廃城となった。敵が攻めてくると霞がかかったように城を覆い隠したといういわれから霞城と呼ばれるようになったという。

参考資料
『図解 山城探訪』宮坂武男著
現地説明板
【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
【歴史】
かすみじょう
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