城跡の地図
川中島八幡原古戦場
別名 武田本陣
所在地 長野市小島田町八幡原田中
遺構等 土塁、碑、説明板
現状 史跡公園、八幡社
築城年
築城者
歴代城主
形式 陣城
訪城日 2006/9/17
【道案内】


【感想・メモ】
かわなかじまはちまんばらこせんじょう
【歴史】
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上信越自動車道「長野インター」から県道35号を1.8km程北上した右手に「八幡原史跡公園」があります。ここが古戦場で、無料駐車場が完備されています。
ここの史跡は訪れていた人が多く、やはり有名な古戦場だからかなぁと思いました。公園の北端にある八幡社には、合戦の陣形が分かる案内板があり、信玄と謙信の一騎打ちの像もあります。この付近には土塁も残っており、ゆっくり周囲の位置関係を確認しながら見ていると、楽しめます。
川中島合戦は、天文22年(1553)〜永禄4年(1661)に至る13年の永きに亘って行われたが、後世広く伝えられている川中島合戦は永禄4年の4回目の戦いを指している。この戦いは越後の雄将上杉謙信、甲斐の智将武田信玄がここ川中島に雌雄を決せんと、武田勢は八幡原に、上杉勢は妻女山に陣をとり、両軍併せて3万3千余、9月10日未明の霧深い中で信玄の「鶴翼」の配備と、謙信の「車懸」の攻撃で双方死斗を盡し、ここ八幡原は大修羅場と化した。その中にあって、謙信は尺一騎愛刀「小豆長光」を振りかざし、武田の本陣に切り込み不意を突かれた信玄は軍配で謙信の太刀を受けたと言う有名な「三太刀、七太刀」もこの処である。時に信玄41歳、謙信32歳であった。この戦で死傷者7千を数え、史上最大の激戦で両将の決戦場ここ八幡原に現存する土盛りの跡は、武田本陣枡形陣地で当時の一部を物語っている。
川中島合戦図(現地案内板より)