枡形城 |
別名 | 湯川城 |
所在地 | 茅野市北山湯川 |
遺構等 | 土塁、説明板 |
現状 | 田、功徳寺 |
築城年 | 天文年間(1532-55) |
築城者 | 武田信玄 |
歴代城主 | 武田 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2007/9/16 |
ますがたじょう |
国道152号「北山小」信号から400m程北上した左手に「功徳寺」があり、このお寺の西側が城跡です。お寺から150m程南西に進んだ通りに、お城の案内があり、そこから西へ150m行くと城跡です。 |
砦の沢
枡形城は、原ノ城を含めて湯川城と言い、南北の渋川と滝の湯川の間の高台にあった広い城である。両城の間には、1km余の深い壕があり、砦の沢と呼ばれ、土塁跡も残る。天文年間(1532-55)、武田信玄が築城したと言われ、大門峠の棒道筋で佐久方面への侵攻や川中島出兵等の拠点として利用された。 |
城跡には縄張図付きの説明板があり、馬出しや土塁が描かれているのですが、土塁は田んぼと田んぼの間のちょっとした高まりのこと?って感じで馬出しに至っては良く分かりませんでした。説明板から150m程南に砦の沢があり、そこから西に150m程進むと、道路沿いに標柱と説明板があります。 |